2009年10月31日

サヨナラ映画 

中山美穂さんの『サヨナライツカ』が2010年1月公開、
忍さんのほうも2010年2月公開で『さよなら夏休み』という作品にご出演のようです。

美穂さんが『サヨナライツカ』の舞台挨拶で言っていたこと・・・。
子供を授かってからは(中略)生きていること自体で世界と関わっているんだと思えるようになった


彼女の語ったことは、ぽんぽんに赤ちゃんができたときに感じたことと、そのまま重なる。
この子や主人の命を通して世界とつながることができる、と。

ボーヴォワールが描く「孵化器」は、主体性を手放し、宇宙にドボンと投げ出された、ずいぶん暗いイメージのものだった。でも、巣ごもりは、もっと温かくて明るい。
この60年の間に、第二の性別が疎外されずに生きられるようになったということなのだろう。

その温かさを、沢山のフラッシュがたかれる中、静かに簡潔に語れるなんて、ミポリンは女性としてとても魅力的。
さすが作家の伴侶だ。

というか、
ミポリンも忍さんも、言葉遣いや立ち居振る舞いに、教養やしとやかさがある。
出演決意にあたっても「おまかせしたいと思いました」。
毎日を大切に生きている人が発する言葉。

こういう姉妹を育てた親は、どんな素晴らしい方なんだろうか。

ただ、映画のストーリーのほうは、どうもあまり芳しくなく、「25年も不倫」というコンセプト...ううむ。私はこういう設定を「25年も文化」とは判断しかねるタイプであり、中川与一の詩的な婚外恋愛モノ『天の夕顔』でさえはまれなかった。
ミポリンといえども見るかどうか迷うね。

2009年10月20日

女性教員処遇問題 

学科内のコース会議で、
「来年、前期を育児休暇にさせていただきたいのですが」
と言ったら、
「じゃ前期は4コマ非常勤ね」と
当たり前のようにオーケーしてもらって、
しかも
「ほんとに半年だけでいいの?」なんて
念押しまでしてもらったので、
  なんて良い学校なんだ〜〜 ♪
とルンルン。

というのも、

私が知っているある学校環境においては、
助教の女性が6月出産という予定を事務局に届けた折、
職員の女性から
「なぜ8月をねらわなかったんですか。
 今回の妊娠については、考え直す必要があるのでは?」
と言われたそうである。
それも、非常勤手当を減らすためだけに・・・・。


赤ちゃんが生まれたら、可愛くて、一時も離れたくなくなるのは目に見えているけれど、今居るゼミ生と継続的に関わるチケットをなくさないために、半年間で目処をつけることにした。前期に継続指導しつつ、後期に正式開講・成績をつける、という道を確保するには、休暇は半年に限る必要がある。

苦渋の、でも、自由にもとづく決断。


そのようなわけで、西南の学風にメチャメチャ感謝しているところであったが、
さらに先日、「現状で何か問題がないか考えるために女性教員の皆さんの希望についてヒアリングを」という打診をうけた。たとえば、「休暇中にゼミ生を継続指導するには、労災のきかない出勤を余儀なくされる。この二者択一状態(休暇か非公式出勤か)は、教員個人のストレスだけでなく、学校にとっても、専門性の継承にダメージがあるのではないか。完全に休業してしまうのではなく、病中や産後における低ノルマ出勤のような制度設計を提案すべきなのではないか。そもそも大学教員の業務は"休暇"という概念と相容れない」と発案者は言う。


すばらしい。 まだ改善するっていうのかっ!


すでに恵まれている状況を、さらに改善するにあたっては、「贅沢すぎるんじゃないだろうか」との迷いが生じる。


しかし、その発案者は言った。


たしかに、あれもこれもと望むのは贅沢すぎるっていう考え方もありますけど、じゃ、「他の学校はもっとたいへんなんだから」っていう理由で、改善の可能性とか夢を全部放棄しちゃうのは、停滞と退化の思考しか生みませんよ。極端に言ったら、派遣労働者が雇用の安定を求めてるときに、「中東の難民はもっとたいへんなんだぞ」って要求をはねる発想でしょ。


なるほどねー。

2009年10月19日

東京芸術劇場 常勤職員募集案内

募集職種・人員: 常勤契約職員(事務 係長級) 1名
職 務 内 容: 東京芸術劇場(複合文化施設)における演劇自主公演の制作
             並びにその他自主事業の実施統括、施設等貸出管理など、
             劇場運営に関わる業務全般
雇 用 期 間: 平成21年12月1日から平成22年3月31日まで(更新あり)
応募受付期間: 10月19日(月)から同月28日(水)まで

申し込み用紙: 東京芸術劇場ホームページ お知らせ欄 

ミートパイ

昨晩は、Bon Repasでパイ生地を買ってきて、ミートパイにチャレンジしてみた。

ほんとはアップルパイを作りたかったんだけれど、主人が「菜の花マラソンに向けて5kgダイエットを」と言っているので、お菓子づくりなんて封印なのである。
ミャーミャー(T^T)

私にとってミートパイの理想は、あざみ野のパン屋「パリジェンヌ」のミートパイ。

温めると油がジワーッと出てきて、本当においしかった。


今回選んだレシピは、もっぱらミートソースのような味のパイを作る方向に傾いていて、結果的にお子供様むけのお味でしたので、次回は、パリジェンヌの大人ミートパイを目指します。

2009年10月18日

ヴァーグナーのドイツ

天高く馬肥ゆる秋、
畏友の吉田寛君から新著『ヴァーグナーのドイツ』をご恵投いただいた。

この本は、
Amazonで「ワーグナーのドイツ」と検索しても、ひっかかりません。
なぜなら「ヴァーグナーのドイツ」だからであります!

ネイション・フォルク・コスモポリタニズムといった概念は音楽にどう関わりうるのかについて、ヴァーグナーの最初期のオペラ、パリ時代・ドレスデン時代の論文、「未来の芸術作品」、「オペラとドラマ」、ミュンヘン時代・トリープシェン時代・バイロイト時代の論文、といった具合に、時代を追ってつぶさに探求している。

この人の研究はいつも、プロセスが緻密なのに、全体がちゃんとダイナミックに展開していて、だから偉い。(同姓同名がすごく多いんだそうですがこちらのお方です)

地図や図版も豊富。


よく、ブログで本に言及する時に「面白いので一気に読破」と書いている人がいて、そういうのを見るとうらやましい。

と、ある人に言ったら、

「言うだけならタダやでぇ(関西弁)」という考え方を開陳していただき、ほほーっと思ったが、とにかく残念ながら私にそんな能力は全然ぜんぜん滅法ないので、無理な見栄をはるのはやめてラクに生きよう。


なにしろ、先月ブログで一平さんから紹介してもらった『ナザレ派のイエス』だって、序章からしておおおおおーっと感激したわりに、まだ第2章のところで、停止している有様よ・・・。


後期には、毎週火曜日に中島和男先生の「ドイツ文化論」を聴講させていただいているが、そのテーマが「ドイツを知る--リヒァルト・ワーグナー研究--」ということになっており、たぶん中島先生の琴線をブルブルいわせちゃう本だと思うので、あさって紹介しておきます。

2009年10月17日

組曲

西南シャントゥールから、定期演奏会の招待状をいただいた。
今年は、清水脩の『月光とピエロ』を演奏するのだが、まったく同じ日時(11月8日14:00)に開催するスタンツェライトのチェロリサイタルに関わっている(というか窓口)ので、聴きに行くことができない。

とても残念なので、まぎらわしに、この楽曲について語られているワグネルソサエティのサイトをみたりした。
これによると、「合唱組曲」という名称単位を、世界で初めて使ったのは、清水脩らしい。

どうしてそういうふうなことになるのか。

考えられるのは、「組曲」という名称単位そのものが、やはりどうしても鍵盤組曲の舞曲形式と結びつきがちであって、合唱作品を「組曲」とは称し難い一線があったのを日本人が超えちゃった、とか?

しかし「管弦楽組曲」というのはある。
ずーっと、ずっとずっと長いこと、管弦楽組曲も鍵盤組曲もあったのに、今日言う合唱組曲(Suite pour choeur)にあたるようなものは、BeethovenもBrahmsもBergもDebussyもRavelもPoulencもみんな、歌集(Lieder, chansons)とか詩集(Gedichte, poèmes)と表現した。あと、Schumannの場合は、情景(Scenes)とか小説群(Novelette)みたいなことになって、組曲(Suite)という概念そのものが落ちる。

組曲ってなんでしょうか・・・・?

2009年10月15日

がっくり科にも翼

楽理科受験の高校生のレッスン。
芸大楽理の説明会に行ったそうで、現在、同学科の競争率は1.2倍だそうである。

競争率1.2倍!

ギンギラ太陽'Sの『翼をくださいっ!』に出てきた
「スカイマークは1日3便でぇすかー!?
 それはぁ1, 2, 3の3便ですかー?
 つまりone two threeの3便ですかー?」
を思い起こさせる。
そういうたぐいの数字だ。

近頃の高校生にとってたいへん重要らしい「将来設計」が定まりにくいわりに受験科目があまりに特殊な楽理科っちゅうものを前に、
折しも音楽環境創造学科ができ、
「新しいものを追求する人材になれる」上に、ぱっと見「受けやすい」かんじの
学科にシフトした受験生が多かったのが、最大要因らしい。

とはいうものの、
楽理科を卒業した私たちが
たぶん社会に十分アピールできていないのだということを
振り返らなければいけないだろうと思う。

いったいどうしたもんだべか。

『音楽芸術』なくなっちゃったしねえ。
『レコ芸』『音楽の友』は、音楽学するかしないかとは関係なく楽しめるしねえ。
ロングセラー『名曲解説全集』は、
「展開部を省略したソナタ形式」が好きだしねえ。

音楽学をめぐる社会的状況についての悩みは尽きないが、
ともあれ、音楽学は「個々の自分」にとって、本当に楽しい領域のはずだ。

音楽学者は、概して言えば、
演奏という形でも、創作という形でも、音楽にかかわることがないが、
しかし、演奏者・創作者の仕事を追体験したり、手伝ったり、できる。

ああお願いだから、中学高校に特有の
一斉的・定期的な「進路指導」をやめちゃってもらえないものだろうか。
「あなたの学力ならココ」「あなたの適性はこう」なんてことを
一律に言っているかぎり、人生は功利主義の罠にはまったままだ。

たぶん一律の問題は、いざとなれば「個々の自分」で解決していける。
だって、学生時代はあんなに甘えん坊だった大学生たちが
就職した途端、それぞれ方々でキリリとするじゃないの。
一斉に卒業した後は、個々に頑張って開拓しているんだよ、きっと。

若い人に「無限の可能性」を感じているなら、
学生の間ぐらい、
闇雲で、五里霧中な欲求を、
メラメラと燃え上がるままにさせておいてほしい。

2009年10月14日

ためすぎショッピングカート2009年10月

  • カルチュラル・コンピューティング―文化・無意識・ソフトウェアの創造力
    By 土佐 尚子

  • ネットワーク・ミュージッキング―「参照の時代」の音楽文化
    By 井手口彰典

  • モーツァルト
    音楽サイコロ遊び
    By 全音楽譜出版社

  • Debussy
    and the Fragment
    By Cummins

  • 進化するアートマネージメント
    By 林 容子

  • ユーザーイリュージョン―意識という幻想
    By トール ノーレットランダー


  • 神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
    By ジュリアン ジェインズ

  • 美の歴史
    By ウンベルト エーコ

  • クラシックでわかる世界史
    時代を生きた作曲家、歴史を変えた名曲
    By 西原稔

  • 切断の時代―20世紀におけるコラージュの美学と歴史
    By 河本 真理

  • Hebrew
    in 10 Minutes a Day


  • 美の存立と生成
    (ピナケス学術叢書)
    By 今道 友信

  • 美学のキーワード
    By 後藤 狷士

  • ランシエール―新〈音楽の哲学〉
    By 市田 良彦

  • 芸術の設計―見る/作ることのアプリケーション
    By 岡崎 乾二郎

  • 世界でもっとも美しい10の科学実験
    By ロバート・P・クリース

  • 「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史
    By 多賀 敏行


  • (H)EAR―ポスト・サイレンスの諸相
    By 佐々木 敦

  • 潜在的イメージ―モダン・アートの曖昧性と不確定性
    By ダリオ ガンボーニ

  • パフォーミングアーツにみる日本人の文化力―アーティスト30人のロングインタビュー集


  • 金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか
    By ハンス アビング

  • 都市空間を創造する―越境時代の文化都市論


  • フランスの文化政策―芸術作品の創造と文化的実践
    By クサビエ・グレフ


  • 日本の中国人社会―司法通訳だけが知っている
    By 森田 靖郎


  • 著作権とは何か―文化と創造のゆくえ
    By 福井 健策

  • 表象文化研究―芸術表象の文化学
    (放送大学大学院教材)



  • 科学革命の構造
    By トーマス・クーン

  • キリスト教と音楽
    ヨーロッパ音楽の源流をたずねて
    By 金澤 正剛

  • アイデンティティ/他者性
    By 細見 和之

  • Between Home and World: A Reader in Hong Kong Cinema (ペーパーバック) By
    Esther M.K. Cheung (編集), Yiu-Wai Chu

  • The
    Cinema of Hong Kong: History, Arts, Identity


  • 芸術の条件―近代美学の境界 By 小田部 胤久

  • アンチ・スペクタクル-沸騰する映像文化の考古学
    By 長谷 正人・中村 秀之

  • SEIKO
    シルカカード・レッド DC-A05GR


  • フランス‐アメリカ―この“危険な関係” By 宇京 頼三

  • 評論家入門―清貧でもいいから物書きになりたい人に By 小谷野 敦

  • 民族の表象―歴史・メディア・国家
    By 羽田 功

  • Global/Local: Cultural Production and the Transnational Imaginary

  • 言語権の理論と実践 By 渋谷 謙次郎・小嶋 勇

  • ナショナリズムの由来 By 大澤 真幸

  • 現代日本と沖縄 (日本史リブレット) By 新崎 盛暉

  • ディアスポラ紀行―追放された者のまなざしBy 徐 京植

  • 民族の表象―歴史・メディア・国家 By 羽田 功

  • Thinking on Screen: Film As Philosophy By Thomas E. Wartenberg

  • Quotation and Cultural Meaning in Twentieth-Century Music By David Metzer

  • ソロマリンバ・セレクションズ By 安倍圭子

  • サウンドアートのトポス―アートマネジメントの記録から By 中川真

  • 一年中わくわくしてたBy ロアルド・ダール

  • Sound Design. Die virtuelle Klangwelt des Films
    By Barbara Flueckiger


  • I-O-DATA-「DVD-CDコピー機能」搭載DVDスーパーマルチドライブ-DVR-UW8DP2


  • 貝印 ステンレスパイ皿 底取れ式 18cm DL0503 → ピザ風アップルパイ♪
  • 2009年10月13日

    進路トークの女性 

    今年は、国際文化学部のための授業準備タイムを「本気論文を読む時間にしよう!」のコンセプトで、毎週ごりごりとほぼ1本ずつ、ナマ系の研究文献を読解し、学生にも一緒に読解してもらっている。

    学部生には、これはきついそうだが、前期には「ほんとにそのとおり予習したらたいへんなことになりますけれど、こういうのはハマると結構ハマるかんじですよね」(2年生)という器用で喜ばしいコメントも得られた。要するに、こちらは文献を渡しはするが、実際の授業はそのエッセンスをKeynoteで解説するだけだし、授業に出れば全訳ももらえるから、そんなに迷惑でもない、という反応のようだ。

    したがって、後期もこの路線でゴー。

    学期中にもかかわらず、生活の中に、文献を2科目分とりこめるのはオイシイ。


    なにしろ、2004〜2006年に映像学に没頭した後、私は、眼病やら新聞記事やらコンサート運営やら転職やら、なにかと格好の言い訳があって、研究者としてはずいぶん遊びほうけていたように思う。今年は主婦もどき開始という言い訳も加わって、料理もやってみると結構おもしろいものだから、研究者としては相当あぶないわけで、授業の仕込みをしつつ勉強できるというのは、むちゃくちゃにオイシイ。


    西南の学生さん、器用に受講してくれて、本当にありがとう。


    さて、この暮らしをふりかえってみて、ふと思い出した人がいる。
    大妻多摩高校にいた頃、進路トークに現れた卒業生のこと。


    色白で、メガネをかけた、その地味なスーツの女性は、言った。

    私は、大学で日本近代文学の世界に出会い、それを愛しました。そして、自分の愛する日本近代文学を研究するという幸せな選択をしました。でも高校生の方々に知っておいてほしいのは、研究者の生活というものは、今みなさんがやっている受験勉強とは違うということです。自分で決めた方法で文献を探し、自分で決めた量の読解を進め、その中身によって自分の検証を行い、また引き返して文献を読み、調査することの繰り返しです。偏差値はないので、自分と向かい合うことが最も大事で、その本性を忘れたならば、研究者としては崩れてしまうのです。ですから、私は男性と並んで歩いたことも手をつないだこともございません!

    私たち高校生一同は、最後の急カーブにビックリし、そして、突然の「ございません」にビックリし、進路モードは吹っ飛んだ。

    −−−今日の人、すごかったよね〜。

    −−−ございませんとか言ってたね〜。

    −−−結局、ございませんしか覚えてないね〜。

    −−−多摩まで来て、それ、相当かわいそうだよね〜。


    彼女はその後、男性と手をおつなぎになったであろうか。

    2009年10月12日

    日の出ずる国

    ヨーロッパの音楽家から日本の聴衆に向けた小文を訳したのだが・・・・。
    とちゅうから音楽的な中身をはずれて、距離とか時代とかの話になり、「平和」でしめくくられていた。
    私たちヨーロッパの音楽家にとっては、まず、日の出ずる国の聴衆に向けて演奏できるということ自体が驚くべき体験と言わねばなりません。私たちの音楽を聴いてもらえること、居心地の良い町並み、新しい風物の発見・・・。そして、ここに集う演奏家と共に演奏できることの喜び・・・。
    つまりは、音楽が、距離というものを消し去り、時代の差を埋めて、私たちの時代が求めてやまない「平和」というものを、この世界に運び込んでくれる、ということなのです。
    この違和感は、言うなれば九響第296回定期のサブタイトル「民族音楽の世界」を目にしたときの違和感に近い。いや、さすがにそれには及ばないか・・・。

    ともあれこの文は、北朝鮮の官僚向け演奏会のために書かれた文章に、「日の出ずる国」をくっつけても、十分書けるであろう。

    2009年10月11日

    モラッチャ王

    お米をとぎながら、漫然と幼児番組を見ていたら、
    モラッチャ王というキャラクターが掃除機をかざし、
    「スキルをもらっちゃおう!!」と叫んでいた。

    人間から人付き合いのスキルを奪って仲たがいさせ、世界征服をたくらんでいるとの由。
    画面の単純さのわりに、ずいぶん哲学的だ。

    そうこうするうち、
    「この方、どこかで会ったような気が・・・、
    会ったなんて程度じゃなく、
    大学時代にお友達だったような気が・・・・。」

    と、しばし料理もそっちのけで
    インターネットでゴリゴリ調べた。

    すると、

    自分のお友達ではなくて、
    TRICKで矢部刑事に殴られながら「もえっもえ〜〜」を
    連発していた あきば はらんど だということが明らかになった。

    あのキモ系キャラクタに、これほどまで親近感を覚えていたとは、不覚である。
    この分では、照喜名さんやジャーミー君を見ても、「旧友」にしかねない。

    2009年10月9日

    西日本にMUSEある?

    今年、西南に宗教主事(音楽)として着任された安積道也氏は、ドイツで教会音楽家Aをとられ、その他いろいろと優れた活動をされて日本に戻ってきたばかりの方。
    オルガン演奏・合唱指揮・音楽学の3領域のプロフェッショナルであり、これから、西日本の音楽文化を刷新してくださる方だと思っている。

    学内で安積さんをつかまえて、 贅沢な質問をしてみた。

    「西南のオルガンは、北ドイツ様式ということですけれど、ブクステフーデやバッハじゃなく、近現代でこの楽器にふさわしい作曲家といったら、だれですか?」

    Hugo Distlerの名前を教えていただいた。

    チャペルで上演するのはもちろん、
    この作曲家の作品について、
    学生に語れるようにならねばだなぁ。

    NaxosやYoutubeでも聞けるので、
    私でも、少しずつなら、ふれられそうだ。
    Ein Stündlein wohl vor Tag
    Nun komm, der Heiden Heiland
    Totentanz

    しかし、ここで久しぶりにあのフラストレーションが発生。

    映像学に手をつけるときには、とりたい手順があまりにはっきりしていたし、
    そもそも、あまりに門外漢すぎて、研究史へのキャッチアップなんて望むべくもなく、このフラストレーションは、ほとんど生じなかった。

    でも、音楽領域で
    なにか自分の知らないことについて調べ始めようとすると、すでにどんなことが語られているか、気になって、「RILM検索したいっ。どうしよう・・・」とフラストレーションにおそわれる。

    今の自分を考えると、
    飛行機で飛ばないですむところに、
    検索ツールをみつけなければ、絶対にいかん。

    関西学院大学の図書館にMUSE-Onlineがあるらしいから、まずはそこを頼りにしよう。

    でも、今後数年のスパンを考えると、飛行機か新幹線か、ではなく、「いかに短い移動距離でMUSEを」という問題が浮上する。

    西日本にMUSEのある場所をご存じの方、お教え下さいませ。

    2009年10月8日

    華麗なる楽曲解説の世界

    久しぶりに、まとまった量の楽曲解説を書くにあたり、
    とりあえずの出だしに一般論をということで、
    ついつい安易に『名曲解説全集』のシリーズをひもといてしまった。

    このシリーズの筆者はおしなべて、
    「展開部を省略したソナタ形式」と書くのが大好きで
    かねてより、それが疑問である。

    大事な旋律がABの2つあって、
    それを後でもう一回繰り返すっていう状態(ABAB)は、
    「〜〜を省略した◎◎形式」とかいう例外形モデルを発明するまでもなく
    ふつうに、二部形式に聞こえるんですけれど。

    一発目のAとBが、
    主調/属調とか主調/平行調とかになっているなら
    まだわかるけれど、
    主調のまんま次も主調の場合にまで、
    「展開部を省略したソナタ形式」と書くのは、
    このシリーズが出た頃の、流行だったのだろうか。

    で、今回は、
    「単一主題による(中略)展開部を省略したソナタ形式」の事例まで発見し、
    その曲をナクソス・ミュージック・ライブラリーで試聴。
     
    ロンドに聞こえるんだけど・・・。

    要するに、再現したら、
    なにがなんでも、絶対ぜったいじぇ〜ったいソナタ形式なのだよね。

    2009年10月7日

    エクセルシオin福岡 終了

    クァルテット・エクセルシオの素晴らしい夕べが過ぎた。

    私は音楽事務所の仕事にはつかなかったから、
    携わるコンサート企画は、
    聴きたい演奏家のコンサートであって、
    これは本質的にとても幸せなことだけれど、
    でも、低予算で企画運営に携わるっていうのは、
    現実的にそのコンサートをほとんど聴けないということでもあるので、
    毎度毎度とっても複雑。

    でも今回は
    共催をいただいた宗教部(株)キャンパスサポート西南
    エクセルシオの演奏に対する私の思い入れが非常に強く
    今回ばかりは、なんとしても中身を聴きたいので、
    開演後おおまかな整理が終わったら、
    場外案内をバトンタッチでお願いさせてください
    と、めいいっぱい甘えさせてもらった。

    こんなお願いを、こころよく引き受けていただき、
    おかげで、
    モーツァルトの第4楽章と、中村作品と、
    ラヴェルの第2〜4楽章を聴くことができた。

    ありがとうございます、皆様!

    印象深いのはラヴェル。
    2楽章では、パッと見のノリに逃げることなく、
    6/8拍子の2分割と3分割を丁寧に表現していて、
    第1ヴァイオリンによる3オクターブの上昇も、
    音が途切れないまま、色が変わる。
    レンジごとに脊髄に3色の液体を注ぎ込まれるような体験だった。

    そして4楽章のクレシェンドとfff
    ダイナミック。
    揺さぶられた〜。

    あえて極端な言い方をするが、
    優れた演奏家ってもんは、優れたアンサンブルってもんは、
    “すごく大きな音を出せる”んでございます。

    ライブ録音は福島欣尚さんにお願いした。
    彼のセンスで、演奏家にとってもある意味
    記念すべきライブ録音になると信じている。

    ただし課題もたくさんある。
    まずは、西南学院大学チャペル(2008年4月献堂)の空調システム設計のこと。
    ほんとうは、開演前と休憩の間だけガンガン冷やして
    上演中は空調を切りたかったのだが、その「ガンガン冷やす」ができない。
    なぜなら、自動26〜28度の総務課一括管理になっていて、
    「冷やす」とか「暖める」 の温度設定ができないのである。

    結果的に、
    サーという空気音と、キーンとかいうダクト反響音が
    (席にもよるが)聞こえてしまう羽目になった。
    せっかく福島さんに頼んだのにさぁ・・・。

    電源のオンオフのみならず温度設定までが中央管理というのは、
    芸大5号館で育った私でもビックリの事態である。
    26〜28度設定というのは、
    労働基準法とエコロジーの妥協点として
    実にポリティカル・コレクトであるが、
    このチャペルが
    席番号までふって客席空間として設計されている以上、
    このインフラではたいへん困る。
    人間が集まって、いろいろな企画をやっていく場所としてちゃんと機能するように、空調設計の改善にむけて、運動していきたい。

    2009年10月4日

    マドンナのMV

    ひかりTVが開通した。
    またリモコンが増えてしまったが、映画などいろいろ見られて、楽しい。

    Ch651の「マドンナMV」特集では、新作を沢山見ることができた。

    ざっとみたところ、
    昔のように、丁寧に舞台設定をして物語を構成していく作品はなくなり、
    女っぷりのよさを映像化する作品が3作、
    キル・ビルばりのアクションが3作、
    画面の中央で胴体を中心に移す作品が5作といったところか。

    Britannica の "Music Video" の項で、Tom Carson が
    2000年代の特性は、
    iPodなどのモバイル機器での視聴を意識した簡単画面構成が多い点だといっていたが、
    まーさーに、そのとおり。

    幸せなら手をたたこう

    勤め先の月報で、日野原重明・木村 利人・A.デーケン『いのちを語る』(集英社, 2009)のことを知り、手に取ってみた。

    木村利人氏は、バイオエシックスのパイオニアで、CiNiiでも、「バイオエシックスと国際公共政策」などを読むことができる。

    学術面では、恵泉女学園大学の学長や、日本生命倫理学会の会長をされているとのことだが、1960年代にヒットした《幸せなら手をたたこう》の作詞者でもあるという。探求が、あんなにもたくさんの人々に伝わる歌として昇華しているなんて、すばらしい。

    だって、作詞上のヒントになったという詩編47編は、
    そのままだと、伝わりにくい。
    すべての民よ、手を打ち鳴らせ。
    神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。
    (詩編 / 47編 2節)
    偉い人っていうのは、
    こういうものを、わかりやすい言葉で伝えられる人のことだと思う。

    2009年10月3日

    エクセルシオ公演


    週明けには、
    いよいよ、エクセルシオの2度目の福岡公演。

    今回は、
    地域的にも(オーストリア、フランス、日本)
    時代的にも(古典派、近代、現代)
    とても多様な曲目を集めてみた。

    演奏のすばらしさは疑いようもないが、
    心配事は新チャペルでの室内楽公演だということ。
    うまく響くかしら・・・。

    助かったのは、
    キャンパスサポート西南さんのおかげで、チラシを思うように撒けたこと。
    ふつうだったら「その集合時間だと授業と重なるなあ」とか
    「指、切っちゃった」「あまりにも疲れちゃった」とかで、
    諦めてしまうかもしれない公演にも、ちゃんと撒けた。

    あとはひたすら、お客様の来場を待つのみ。

    2009年106日(火)18:30開場 19:00開演
    西南学院大学チャペル (全席自由)

    W.A.モーツァルト 弦楽四重奏曲 第19番ハ長調「不協和音」K.465
    中村滋延     ソヴァン・マチャ -----弦楽四重奏のための音詩-----
    M.ラヴェル    弦楽四重奏曲 ヘ長調
    前売券 一般3,000円/学生1,500円  (Pコード334-335)
    キャンパスサポート西南 092-823-3576
    当日券 一般3,500円/学生 2,000円
    主催西南学院大学 080-3961-7654(栗原)
    後援 福岡市・福岡市教育委員会・朝日新聞社・西日本新聞社・毎日新聞社・読売新聞西部本社

    ブログのお引越

    LivedoorBlogからBloggerに移ってまいりました。
    投稿を終えるたびに出てくる「ザ・広告」フラッシュに、
    疲れてしまったものですから・・・。
    それに、字が小さくて見えないんだけれども、
    カスタマイズがうまくいかないものですから・・・。

    用語リンクの豊富なhatenaと、
    自動保存が便利なBloggerの2択、
    5〜6分迷ったけれど、
    Google様につながったBloggerの
    まさに無駄のない構成に賭けてみることに。

    題名も、数年来の「ここなら安全!」から、
    「まさに、ここなら安全!」に、変えてみました。