2011年4月30日

Me too

学生を前にユーモアあふれる講演をしたかったのだろう、とは思うが・・・。

先日のチャペルアワーにて「Who is Jesus?」という講演があった。
登壇したのは、近隣の教会にて奉仕する米国人の牧師。

森喜朗元首相とクリントン元大統領の「Who are you?」「I'm Hillary's husband」「Me too」という逸話を枕にしてお話がはじまった。

講演を聴き終えた後、なんかすごくイヤなかんじを覚えた。
「Who are you?」事件そのものが捏造だが(ja.wikipedia.org/wiki/Who_are_you_?捏造報道)、そんなこと知らなかったのに、あのイヤなかんじ、どこから来ていたのだろう?

最大の理由は、本題のはずの「Who is Jesus?」が、たいした話になっていなかった(ように記憶する)こと。
何の説明もなしに、ただ「イエスは私たちのあがないぬしのお方です!」と連呼しているだけだった(ように記憶する)
そこで聴衆の一人としては、前振りのWho are you?ジョークしか思いつかなくてWho is Jesus?っていうタイトルにしたのか、と邪推いたす次第である。

第二に、まあちょっと大げさだが、しかし仮にも一国の元リーダーの品格にかかわる話題だということ。欧米人は、民族をネタにしたジョークや公人をネタにしたジョークが大好きなので、森さんの失言ネタくらい、古かろうが嘘だろうが楽しければ構わないっていう考えなのかもしれないが、かりに日本人の牧師がアリゾナ州あたりに移り住んだとして、そこのカレッジ・チャペルの招待講演でクリントンの"不適切関係"を今更もちだして、それを前振りに講話するなんてことアリだろうか? ブーイングが起こるんじゃないかしら。

しかし、そもそも「Who are you?」事件を捏造・広報したのは、日本のジャーナリスト。
それが私個人の誹謗中傷で済むならいい。(中略)しかし、そういう報道が日本の総理大臣、ひいては日本そのものを貶めているのだということを考えて欲しい。
とは森の発言。
私も(Me too)そう思う。

2011年4月22日

若草の

子育てのことで、我が夫の考えに感動した。

そもそもは、同僚のイトーせんせが
「ウータン在外研究しないのもったいないよ。休んで研究できるでしょ。子どもも幼いうちに海外経験させとくとモチベーションが違うよ。ま、在外研究とらないんだったら、ボーディングスクールに入れるのもいいけど」と語ってくれたのである。

グローバリズムには負けないぞ、と小さな反抗心を発揮して、まずは抵抗してみる。
「寄宿学校に入れちゃったら手塩にかけて育てるっていうのができないでしょう?」

すると、イトーせんせは更に「日本は高校まで手元で育てるっていう意識が強いけど、その分、反抗期とかいって無駄なエネルギー使うでしょ。欧米は、12か13で自立させて、集団の中で克己に集中させるんだって」と語ってくれたのである。

単純な私は、おおおおおお、なるほど! と納得し、さっそくガイドブックを注文して、夫に「10年後ぐらいの話なんだけどね、さやかちゃんの反抗期のエネルギーを集団の中で克己に集中させるのよくなぁい?」と話しかけてみた。

すると、若草の夫いわく
「いや、親とまともに対決するプロセスもけっこう大事なんじゃないの? 反抗期のエネルギー、俺たちで受け止めてやろうぜ」
本件2度目の、おおおおおおなるほど! である。
この人の考えに、ちゃんとついていこう!

さて、それから2日ほどしてガイドブックが届いた。
いろんな学校の素敵な風景が載ったキレイな本。
体験談を載せていたのが、高田真由子さんで、よかった。
もっと好きなタレントが海外のボーディングスクール卒業生だったりしたら、単純な私の視野は、またまた揺らいだかもしれない。

2011年4月20日

学部・年次不問について

福岡市保育協会が、再来月、「保育士を目指す皆さんはぜひご参加下さい。」として就職説明会を開く。
フレンドリーなかんじの丸文字で「学部・年次不問です!!」と書かれているが、「保育士を目指す皆さんは」の時点で、保育資格が必要なのである。(この書き込みに先立ち、念のために協会に電話して問い合わせた)
少なからぬ学生が、このあたりを把握せずに、連日ドカドカ授業に「公欠届」をだして、いろんな就職説明会に出かけ、「なーんだ資格いるんじゃないですか」ということに驚きながら帰ってきたりする。

「○○を目指す」っていうのは、ずっと気にかけることなんだよ。
つまり、前から「○○」になりたいと思って、そのために整備された資格とかは当然とっておくっていうことなんだよ。

卒業時には学芸員資格と教員資格をとれる見込みですけれど学芸員も教員も競争率が高くてかなり危なくて、たまたま説明会のチラシみた時にちっちゃい子を保育するのもいいなぁと思って、チラシに学部・年次不問と書いてあったので説明会に来てみました、という方は、はじめっから対象外なんだよ。

説明会に行ってからガッカリしないように、こういうこと、おぼえておいてね。

2011年4月17日

もつ鍋を食すも尚クダをまく

昨日は、楽理科受験志望なる高校3年生と面談。
エネルギーをすいとられて、夫に「エネルギーのわく外食につれてって」とせがみ、もつ鍋の「たま木」へ。
夫婦2人・お酒なしで7000円分も平らげてしまった。馬鹿である。おかげで、昼過ぎても、まだ胃が重い。
このうえは、心のクダ巻きを文字化することにした。

ですから、この投稿は、単なるクダです。


その高校3年生について1週間前に知人から紹介をうけた折の話は、以下のような、よくあるナメきった進路相談であった。下線部は、I have a dream! という慣用句、ならびに、従属接続詞「ので」、等位接続詞「そこで」の間違った用法である。
私には夢がある。音大へ進み、大学卒業後に仏コンセルヴァトワールへ留学したいという夢である。しかし先生の家が遠くてあまりレッスンに通っていなかった。久しぶりにレッスンに行ったら芸大器楽科に受かる見込みは薄いと言われた。芸大の校舎をみて以来、校風が自分に合っていると感じていたので、とても残念である。そこでとりあえず芸大の楽理科へ行こうと思うので楽理科小論文のヒントを!」

メールで、「演奏をやりたいなら楽理科に転向するよりも、まずは私大器楽科に入って2年生で芸大器楽科を再受験するのがよいのでは?」と伝えてみたが、「いやいや楽理科もまじめに気になっているので面談を」との要望を受け、昨日、2時間半だかの遠路をおしてお目見えいただいた次第。

ところが会ってみると、第1希望を某県芸器楽科とし、第2希望を某県立語学科に、という方向に変わったそうである。理由は「両親から私大に行ってはいけないと言われたので・・・」。

がくりか卒だけにガックリきながらも、ともあれ対話を試みるべく、「それが一番ね。でも楽理科を受けないことにしたなら、今日何か聞きたいことある? なかったりして?」と水をむけてみる。
「はい、とくにないんです」(ジュースを一口)。

大事な週末を器楽の練習にあてず、用のなくなった学科の話を聞きにきているユルさに驚愕した。
あえてプラスの方向をくめば、義理堅さゆえに面談の約束をこなしたとも解釈できようが、暖簾に腕押しの面談なんて無いほうがありがたいので、そんな義理ははたさなくてもよいのである。

夢があるなら、その夢に自分の現状を近づけてくれるように望む。
あるいは、現状をふまえて未来の希望を構築してほしい。

2011年4月9日

鷲のように

職員向け月報で、院長巻頭言を、久しぶりに熟読した。
ここ7〜8ヶ月ほど、「経営方針はこうです」的なトーンが強かったので、期待はずれの落胆におそわれるとともに、法人経営上の重圧っていうのはよほど大きいんだなあ、などと推察する思いが前面にきてしまっていた。
しかし、今回は久しぶりに、院長ご専門の神学をもって時事への向き合い方を示す内容だった。
ああよかった。

以下、抜粋をメモ。

今年度学院のモットーとする聖書の言葉を選びました。
ここでご提案させていただきたいと思います。
.   「主に望みをおく人は新たな力を得
.    鷲のように翼を張って上る。
.    走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ書第40章31節)
ここでは、信仰は世界や自己についての認識や解釈の事柄としてではなく(第二義的にはそれも含みますが)、第一義的には何よりも、「主に望みをおく」生き方・姿勢であるとして語られます。
(中略)
東北関東大震災を思わずにいられません。(中略)私たちに期待されていることは、パウロが言うように「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ロマ12:15)ということではないでしょうか。
「鷲のように翼を張って上る」という力強い姿勢は、決してエゴイスティックで排他的なものではありません。本当の強さは、愛によって仕えることだと思います。主に望みをおくことによって得られる力を求めたいと思います。