稲田先輩を見習って業務日誌をつづってみることにしたのだが、書いてみたら、なにやら遊びのことばかり・・・。反省のためのウェブ日記になりそうだ。
●2月1日WED 創立100周年委員会。マタイ受難曲上演(2016)にむけた「西南オラトリオアカデミー」の募集準備。なお2012年はモツレクで11月3日に上演予定//かな書道は連綿に挑戦で「いね」「うた」//ドッグラン(=さやかの運動をこう呼ぶ)で八百屋さんに行くと、さやかがカゴにボトンと野菜を入れてしまうので、なんとなく大量に買う羽目になっていた。六本松のTSUTAYAでは、さやかチョイスのジャケ借りでDJHelloKitty。
●2月2日THU 3〜5時に夜泣き//後期は3科目15回分、ほぼ毎回小テストした上に、レポートまで書いてもらったので採点に難儀。来学期の小テストは半分程度にしよう。//共通教育センター設置準備委員会。2010年11月の大学設置基準改正で「学生が卒業後自らの資質を向上させ、社会的及び職業的自立を図るために必要な能力を、教育課程の実施及び厚生補導を通じて培うことができるよう、大学内の組織間の有機的な連携を図り、適切な体制を整えるものとする」という文言が盛り込まれたことの対策を協議。関連GPをとった他大の動向をみると、具体的には「キャリア」という言葉をもりこんだ正課の授業を作る必要があるようだ。名称上、就職教育ではなくキャリア教育になっているところが味噌のようだ。こういう重要単語は、個別例としては意義深いのに、全員必修とかにすると安っぽい横文字にしか見えなくなるなあ。ふだんから、生き方教育ざんまいの西南において、各内容を薄めてしまわずに、学生に伝えていく方法を模索しなければ。
●2月3日FRI コンサート委員会。キャンパスサポートの実務力をいただいているとはいえ、宗教局管轄でどこまで突き進めるのか不安だったが、前回あたりから総務課や広報課が陪席してくださるようになり、やりたいこと一つ一つを具体的に話しあえるようになった。ありがたいことだ。//採点がなんとかおわった//夕方、夜泣き対策の小児鍼。
●2月4日SAT 唐人町でサンキュー事故してしまった。前に障害物があったのだから頑なに停車しておくべきであった。すれちがいざまにミラーどうしをこすって、相手のミラーに2cmほど私のペンキがついた。//午後は主人にさやかをあずけて、日演連「福田さあやリサイタル」(3月2日)の楽曲解説準備。
●2月5日SUN 教会に行く途中でさやかの猛烈ウンチが発生し、下痢気味だったので直帰。お腹が冷えたのかもしれない。でも活発で、キティーちゃんテープでこんがらがったまま「んった」と喜んでいる。午後はLEGOブロック。このところLEGOが急に上達した。//主人は当直なので、今日作った鮭のクリームシチューは明日の夕ご飯にもなりそうだ。
●2月6日MON 4時に起きて5:30から8:30まで楽曲解説を書く。4:20には身支度できていたのに5:30までとりかかれなかったのは、書評みたりFacebookみたりして遊んでいたから。//職場から定期健康診断書を提出せよ、と言われていたので午後は赤坂で検診。風邪で咳の発作がでるたびにNHOで血液検査しているというのに身長体重計って。//検診の待ち時間に山本文房堂でダーマトグラフを買った。へえ105円で買えてしまうんだ。//SALE中のヨシノヤ(岩田屋)では茶と紫を絶妙にあわせたパンプスに出会ってしまった。今朝の原稿料のほぼ70%を投入したことになるが、ヨシノヤのレザーソール・クラスが自分にぴったりの22cmEEMで、RIZと同等価格(47800→17800円)だったら買わずにいられないでしょう。//当直明けで食欲がないとかで、シチューは明日の朝食に持ち越し。
●2月7日TUE 朝食にようやくシチュー登場。あとは卵サンド&トマトサンド//入試の試験監督デーなので、いつもより1時間はやく保育園へ。今月は保育園の月謝をお持ちするのが遅れてしまった。松屋菓子舗の鶏卵素麺をそえて提出。//マンネリお弁当は文句も言わず食べてくれているが、おやつ用のパンのサイコロ切りはボイコットされたので、今日はチーズ・サンドにしたところ完食。次はお弁当の改革だ//夕飯は、豚とキャベツのミルフィーユ煮と、シチューの最後の余りを使って南瓜のドリア。//主人の職場で「ストロベリーナイト」が話題だとかで社交用の鑑賞。んんん私たちには重い。事件は水戸黄門のように一話完結型で解決していただきたい。それに都内勤務の通勤事情を考慮するならば、バーキン常用は、絶対にありえぬ。ちなみに私のヨシノヤ靴は、とっておきのコンサートと会合のために研究室のロッカーにしまってある。
●2月8日WED 学院主催の音楽行事のためのチラシ校正2件にそれぞれ1時間ずつとられた。まあ音楽会好きの職場の空気そのものは幸せであるが、音楽学部があるわけでもないので担当スタッフ数が少ないのが難点。//押し入れからみつけたWATERMANのボールペンとても使いやすい! 滑らかとはこのことだ。気持ちよくて次々書きたくなってしまう。//こっこれは可愛い! クローゼット収納について考察。Zurich生命のガン保険(10年もの)を更新した。2002年からの10年間は年額4690円だったのが、2012年から年額9800円に。ローリスクを買うにはお金がかかる。
●2月9日THU 入試の試験監督。国語現代文は問題はたぶんこういうもんだんだろうぐらいしかわからないが文選(柳宗悦「工藝文化」)がとてもよかった。//名刺交換したら「あブログ読んでます」と言われた。どう返事すればいいのか分からなかったが、感想をいわないまま関心だけ示す、という日本的特性をかみしめることにした。//さやかが車内を嫌がって号泣。明日はあまり寒くなければ電車にしよう。2歳の誕生日から始めたトイレトレーニングが、たった2週間で着実に上手になって睡眠時のみで済むようになった。洗濯物が減って大助かり。
●2月10日FRI 朝5:00〜5:45夜泣き//入試の試験監督//「ドンナコトにも疑問ヲ持トウ」教育の成果だろうか、「なぜ落ちたかわかりません。私はレポートも出しました。」という趣旨のメールが来た。「小テストが15回中6回分しか提出されておらず(=15分の6出席)、その中身がそれぞれABCのBで、レポートがABCのCだったからです」という趣旨で返事した。//ナオミさんが食品を出している北欧雑貨店「TRAM」へ。ちょうど「北欧ミニバック100枚と2月のお菓子」展が開催中。さやかが店内を荒らさず(!)行儀よくしてくれていて助かった//ウェブニュース(47news)で驚愕。菅井円加さんのローザンヌ優勝報道が「スポーツ」に分類されていた。ま、野球やゴルフなんかも、芸術といえば芸術であり、スポーツであるといえばスポーツなのだろうが。
●2月11日SAT 「キティーちゃんシールブック」で遊ぶ//ピザ生地はイーストが多すぎてパンパカパンになった。次回は慎重に。//大阪フィル(24日・アルカスSASEBO)を聴きに行くためにホテルと一時保育とご飯の場所などもろもろ予約//Facebookのタイムライン画面は全然いいと思わないけれど知覚を馴らすために一応チェックしてカバー画像をデスクトップと同じものにしてみた。//お風呂掃除のときに転んで向こう脛に打撲。でも突き指や顔の怪我はなかったし、そばにさやかが居なくて、本当によかった。
●2月12日SUN 確定申告作成サイトが始まっている。手帳に入れてしまわないと先送りにしそうなタスクのナンバーワン。//久しぶりに家族で出かけられたので、岩田屋新館の香港蒸籠でバイキング。すべて小ぶりでとてもおいしい。さやかはフカヒレスープがいたく気にいった。こんど卵スープでも作ってみよう。//
●2月13日MON 先日NHKが座骨神経痛に貧乏ゆすりが効くとか報じていたが、そんなことしたくないので、午前中は整骨サロンでじっくり治療。//大友直人指揮の日フィルwith岡崎慶輔を聴くために、保育園お迎えは主人にお願いした。夕食の準備について考えないせいか午後の原稿も俄然はかどった(NHK放送記念日用「火の鳥」)。この作品についてはあまり知らなかったのだが、舩山門下生として「ストラヴィンスキー作品については書くこと一杯でこまっちゃうわ!」となれるよう、ここ数日にわかに学んだのである。これのおまけで、ロックバンドのYESが1991年ツアーのオープニングで「火の鳥」を使ったことを知った。
●2月14日TUE 今日は入試の採点デー。一斉昼食で他学科の先生方とも交流できて楽しかった。//朝食のときにサンドイッチとシチューに加えて生チョコをだしたら「これはさすがに夜くうばい」ということでチョコは冷蔵庫へ。夕方、事件発生で帰れないとメールがあったが明け方に隣をみたら居た。しかしチョコは冷蔵庫にあった。すごくおいしいのを買ってきたゆえ私が食べたいので早く包装をほどいて。
●2月15日MON かな書道は先週いただいたお手本で「さす」「つき」「なく」を練習。
脱落、断念。
2012年2月27日
毎日1月号:ミョンフンのこととオルガンのこと
手元のメモ
Debussy
Debussy
- 拍子感明瞭で弦のdivigeさえも分離
- やろうとしていることが伝わってくる
- 音の粒が明瞭でppらしくない。版画が擦りきれる前はこうなのか、ぐらいの。
- 第1部ラストのTimpaniによる盛り上げの迫力
- 絵画的というにはほど遠い版画/造形/立体的な表現
- 北斎の富嶽百景 → 富士山と波としぶきが各パーツとして分離 → 版画の彫り
- この演奏を聴くと、当時ジャポニズムが流行していたから表紙に貼った、ということ以上に、北斎への近さを感じる。版画史における北斎の位置を知っていたら、もっと何か言えそうなのだが。
- ミョンフンは冷めたN響でも燃えさせる
- 1楽章と3楽章の不吉感がすごい
- 4楽章 キビキビと向きを変えて、両手をビシリと開く様子は、まるで十字架
- 4楽章 向かい合う2組のティンパニの掛け合いがすばらしい
- 4楽章 金管の空間的方向性を強調するように、Soliとして立たせる
2012年2月21日
F.X.ロト指揮のマーラー
昨晩は、F.X.ロト指揮の南西ドイツ放送交響楽団を聴いてきた。
マーラー5番は、なんの見栄もきらずに、スラスラ・サクサク・トットコと前に進んでいった。
これまで聴いたマーラーは、フレーズ間にテンポ変化があったりとか、いろんな見せ場にみちたもので、だからこそ、ウィーンは文化のるつぼです、耳の記憶な んです、路上の石ころがプリズムになるんです、という読書との連動があったりしたが、今回のは「え”っえ”っもう次?」と戸惑いの連続。
客観的に距離をおいて達観すればミニマルな快感がおとずれるのではないか、というアイディアが浮かんだので、第3楽章の半ばで割り切り方向にシフトチェンジしてみたけれど、期待通りにはならなかった。
ロトさんって老けたお顔のわりに若くて(1971生)、指揮界でいったら「超若手」であるだけに、なんというかこうハイパーなスキゾなかんじが売りなのかもしれな...い。
すでに時代は、楽章ごとの位置づけを純交響曲的に明晰にうちだす、ってなことをマーラーでやってみせる段階まできてしまっているのかもしれなくて、そうい う最新スタイルの演奏についていけないことの露呈は、イコール、自分の日頃の鍛錬不足を暴露するにすぎないので、なんとしてでも満足ポイントをみつけたい ところではあり、よって、涼しげに「とても爽やかな演素」とでも語っておく・・・・・・のは簡単。ついていけない私の本音は・・・・・・演奏は決して乱暴なものだったわけではないのだが、なんというか、ユダヤにもウィーンにも形式的特殊性にも目をくれない態度のなかに、「そんなの関係ねえ」的な非紳士性を感じた。
けちってA席(ぴあで3階2列)にしたのが悪かったのかなあ。
マーラー5番は、なんの見栄もきらずに、スラスラ・サクサク・トットコと前に進んでいった。
これまで聴いたマーラーは、フレーズ間にテンポ変化があったりとか、いろんな見せ場にみちたもので、だからこそ、ウィーンは文化のるつぼです、耳の記憶な んです、路上の石ころがプリズムになるんです、という読書との連動があったりしたが、今回のは「え”っえ”っもう次?」と戸惑いの連続。
客観的に距離をおいて達観すればミニマルな快感がおとずれるのではないか、というアイディアが浮かんだので、第3楽章の半ばで割り切り方向にシフトチェンジしてみたけれど、期待通りにはならなかった。
ロトさんって老けたお顔のわりに若くて(1971生)、指揮界でいったら「超若手」であるだけに、なんというかこうハイパーなスキゾなかんじが売りなのかもしれな...い。
すでに時代は、楽章ごとの位置づけを純交響曲的に明晰にうちだす、ってなことをマーラーでやってみせる段階まできてしまっているのかもしれなくて、そうい う最新スタイルの演奏についていけないことの露呈は、イコール、自分の日頃の鍛錬不足を暴露するにすぎないので、なんとしてでも満足ポイントをみつけたい ところではあり、よって、涼しげに「とても爽やかな演素」とでも語っておく・・・・・・のは簡単。ついていけない私の本音は・・・・・・演奏は決して乱暴なものだったわけではないのだが、なんというか、ユダヤにもウィーンにも形式的特殊性にも目をくれない態度のなかに、「そんなの関係ねえ」的な非紳士性を感じた。
けちってA席(ぴあで3階2列)にしたのが悪かったのかなあ。
2012年2月4日
現実の直視と「みんな」
大崎茂生の『文化としてのシンフォニー』1巻
92 なぜハイドンは歴史に遺り、モルターや、ポコルニーや、ロセッティは、なぜ忘却の彼方に消えたのか
94 シンフォニーが定着する条件とは要するに何かと考えてみると、宮廷にしろ市民レヴェルにしろ、その前提となるコンサート生活が定着しているかどうかが第一であった。
ところで、
幼児の悪戯や中学生の悪癖をとめるにあたり「みんなやってるし・・・」という言説は、ビシッと否定して、現実にもどしてやらなければならないが、
ヨーロッパ留学組の人々が日本のクラシック不振を嘆く際に口にする「ヨーロッパの大人はみんなクラシックのコンサートにでかける」における「みんな」も、かなり怪しいかもしれない。
人の習性は個々に異なって当然であるし、まさに自分の「やりたいこと」が盛んな都市を選んで留学してきた人が、その都市をガバッと含むヨーロッパ全体を一色に論じるにあたって、自分の「やりたいこと」に染まった色眼鏡がかかっている可能性は、大である。
92 なぜハイドンは歴史に遺り、モルターや、ポコルニーや、ロセッティは、なぜ忘却の彼方に消えたのか
94 シンフォニーが定着する条件とは要するに何かと考えてみると、宮廷にしろ市民レヴェルにしろ、その前提となるコンサート生活が定着しているかどうかが第一であった。
ところで、
幼児の悪戯や中学生の悪癖をとめるにあたり「みんなやってるし・・・」という言説は、ビシッと否定して、現実にもどしてやらなければならないが、
ヨーロッパ留学組の人々が日本のクラシック不振を嘆く際に口にする「ヨーロッパの大人はみんなクラシックのコンサートにでかける」における「みんな」も、かなり怪しいかもしれない。
人の習性は個々に異なって当然であるし、まさに自分の「やりたいこと」が盛んな都市を選んで留学してきた人が、その都市をガバッと含むヨーロッパ全体を一色に論じるにあたって、自分の「やりたいこと」に染まった色眼鏡がかかっている可能性は、大である。
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