2012年7月19日

すぐには解決しないこと

NHKの「義経」をみつけた。
http://videonavi.blog66.fc2.com/blog-entry-252.html

第4話27分の兵書『六韜』がどう見てもホッチキス留めの台本であり、12世紀の状況としては不自然であるが、17分めの鬼一法眼の台詞がすばらしいのでメモ。

義経:忘れることもできず、割り切ることもできず、どう考えたらよいのか。
法眼:忘れることも、赦すこともない。あるがままに受け入れよ。
義経:それができぬ。
法眼:ならば考えぬことである。
義経:どうすれば?
法眼:悩みぬけばよいではないか。闇のまっただ中を彷徨ってもよいではないか。
   そのうち陽も射す。それがこの世の定法である。

「すぐに解決」を求めない、こうした達観のスタンスは、ジンネマンの『尼僧物語』にも一部あらわれていた。
監護でSr.ルークが掟を軽視して危機に陥った後の、先輩修道女との対話。

ルーク:心の平安は、本当に、おとずれるのでしょうか。
先輩:平安などおとずれません。日々たゆまず歩むだけです。

2012年7月5日

本を「はかない」ものにする

アルゲリッチの故郷アルゼンチンで、
 (アルゲリッチとは関係ないけど)
「本をはかないものにする」という革新的なアイディアが出た。
新人作家を応援するためだそうだ。
http://gigazine.net/news/20120704-disappear-book/

とても革新的だが、現実的な効果がよくわからない。

自炊してリーダーを持ち歩くタイプの読者にとっては、従来とおんなじことではなかろうか。

また、よろず新しいモノが好きな人は「そういう形態のモノ」を1冊ぐらいは買って、2ヶ月後に「ほんとに消えたよ!」とか話題にするだろうけれど、読書は大好きなのに忙しくて「とりあえず購入ボタン押しといて休暇に読もう」というタイプの人は、絶対に買わないと思う。後者の購買者をあてにしない出版形態は、新人作家を応援することになるんだろうか。

そして、国立の中央図書館への納本時には、一般的なインクによる別立ての本を用意してくれるんだろうか。国立の中央図書館でも、空気よけのパッキングをはがさずにそのままとっておく、というイメージなんだろうか。どちらも不可能、という場合、後代の(というか2ヶ月目以降の)研究者は、初版本にアクセスできない、というわけだろうか。