2010年9月4日

愛にみちた日々、魅力的な本2つ

さやかとの甘い日々も、もはや残り3週間。
涙にくれてすごそうかという状態だが、今週は、いろんなことが愛に満ちていて、まず礼拝(8/29)がよかった。
狭き門(マタイ7)を狭い入り口(ルカ13)とセットで学び、ジッド式の禁欲目標としてでなく、無用な争いを避けようとする実践論(イエスが広い門から入城したら一悶着あったにちがいない)だったのではないか、という観点を知ることができ、とても有益だった。
週の半ばには、友人と久しぶりにランチをして、彼女は、せっけんシャンプーの店のパンフレットを持参してくれたり、勉強中の令翠学を駆使して、日々を大切に過ごすための鍵を教えてくれた。
いろいろお誘いいただいたコンサートも多い。コンサート批評をお休みし、もしチケットがあったとしても場外とか親子席で聴く立場では、触手もはたらかせにくいけれど、こんなにあちこちからご厚意をいただけるなんて・・・。精進しなければ、むくいなければ。

さらに、魅力的な本を2つみつけた。どちらを先によもうか。 まず以前、義母から薦められた村上龍のサイト「Japan Mail Media」に『新 13歳のハローワーク』が紹介されていて、興味をもった。 身近な子どもたちは、こういうのを読んでいるだろうか。 読んでいても読んでいなくてもいいのだけれど、成人するまでに、何でもよいから、日々を生きる手応えを感じられる生業をみつけられると、いいね。 それと文化経済学会の会報(季刊)No.73に載っていた池上惇氏の文章で内村鑑三の『地人論』。岩波文庫に入っているようだ。
地質学の如く深からず、天文学の如く高からず、現世的にして皮相的なる地理学は、探り易くて解し易し。然れども其の解し易さが故に地の理は吾人これを思うこと稀なり、その解し易さが故に地の理は人の多く究めざる所なり。皮相的たる必ずしも浅薄の意にあらず。慈母の柔顔は彼女心情の現出ならずや、現世的たる必ずしも寸時の意にあらず、現在とは過去と未来を繋ぐ永遠の一部分たるにあらずや。地理学は実に諸学の基本なり。我ら地の事を知らざるにいかで天の事を悟るを得んや。(中略)地を以て始め天を以て終わる。殖産、政治、美術、文学、宗教は、此絶頂絶下両極端に亙る人生の階段なり。地を究めずして此の階梯を昇らんとする者は夢に雲井に上るが如く、発点なきが故に着点に達するを得ざる人なり。

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