日曜日。
Church Schoolにきた小学生と幼稚園児の会話。
「このごろ、こんにちワン! って、うるさいよね〜」
「地震の後はふつうのCMできないからACなんだって」
震災後のテレビがACばかりになったのは、
被災している方々がいるときに、自社製品の広告などできない、という思いの表明なのであろう。
むかし、昭和天皇の崩御にあたり「歌舞音曲はさしひかえること」と文部省が通達していたのが思い出される。
命が危機にさらされている!
物資がたりない!
そんなとき、実用品なり飲食料なりの紹介はNGで、「こんにちワン!ありがとウサギ! まほうのことばで楽しい仲間が〜♪ ポポポポーン!」なる歌をガンガンならすのはOKという意識は、的外れではなかろうか。
(なおロングバージョンはこちらhttp://www.youtube.com/watch?v=Bsk2ioK0Lrg)
加えて、「思いは見えないけれど思いやりはだれにでも見える」というAC広告も、繰り返されるたび、どうも気持ちがわるい。この気持ち悪さは、「見える化」の姿勢を横行させた、無遠慮で無神経なグローバリズムへの違和感でもある。
善意や修身の「見える化」をきらう感受性は、論語にも枕草子にも歎異抄にも江戸川柳にも、いっぱいあったはずなのだが、教養不足ですぐには引用できないので、とりあえず手近に検索できる聖書本文から引用しておく。
> 「施しをするときは、右の手のすることを左の手に
> 知らせてはならない。」
> But when you give to the needy, do not let your
> left hand know what your right hand is doing
> (マタイ6章3節)
> 「断食するときには、あなたがたは偽善者のように
> 沈んだ顔つきをしてはならない。(中略)あなたは、
> 断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい」
> When you fast, do not look somber as the hypocrites do [snip]
> But when you fast, put oil on your head and wash your face,
> (マタイ6章16-17節)
日本語引用元:http://www.bible.or.jp/
英語引用元:http://www.biblegateway.com
■卒業式を中止した立教新座中学校三年生諸君へ。(校長先生のメッセージ)
返信削除やはりメッセージというものは、だれがだれに対して言っているか、はっきりとわかるということが大前提だと思われます。
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8589/