月報717号で、安河内英光先生の文章を読む。
大学人は、こんなふうに語らなければなあと思う。
以下は、私の学習のために書き写し行為(模写作業)を行った結果、中盤以降の引用テキストができあがっちゃったもの。
大地震と津波による自然の猛威と破壊力のすさまじさには恐怖と驚愕を感じ、人知を超えた地球規模の動きには人間の卑小さと脆弱さを痛感させられ、被災された人たちには心が痛みました。ですが、原発事故は人災ですから、何ともやりきれないほとんど憤りに近いものを感じます。
(中略)
核燃料のプルトニウム239は半減期間が24000年で、太陽から非常に遠い宇宙の彼方にある冥王星の英語名Plutoにちなんでつけられたものですが、ギリシャ神話では、Plutoは死を司る神を言います。核は人間を超えたもので、ある意味で、神の領域にあるものと考えるべきで、卑称で脆弱で愚かで誤りやすい人間が神の領域に手をつけてはならないのです。原発は、核分裂によって生じる巨大なエネルギーを原爆に使うのでなく平和利用に使うのだ、と言って造られ始めたのですが、人間は愚かで誤りやすい存在ですから、平和利用といっても、いつか大失敗をしでかすのではないかと強い危惧の念を抱いていました。それが現実となり、今回の事故となって現れました。宗教や大自然という人間を超える大きなものに対する畏怖の念をなくし、人間が神の領域に手をつけることや神々に対する傲慢不遜な態度をとることをヒューブリス(hubris)と言いますが、まさに、今回の事故は、人間のヒューブリスが起こした大災害であり、それを行った人間の行為は大罪です。
18世紀以来の西洋近・現代と過去100年の日本は、人間の理性と科学と合理主義を重視し、これが産業主義と結びついて、人間の感情、感覚、本能、創造、空想等を心の片隅に抑え込み、文化や伝統を壊し、物質的な豊かさを求め、その豊かさがあたかも幸福につながるような錯覚をして、暴走してきました。その典型的で最悪の結果が、原爆であり原発です。私たちは、経済成長優先主義の政治や教育、物質的な豊かさや安楽さを追い求める人々、消費主義をたきつける社会等と、これらの背後にある近・現代全体の思想や理念を改めて根底から批判的に検証し、これらを根本的に見直す政治、経済、文化の在り方を考えなければならないでしょう。
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