ブレインストーミングの回では、高畑淳子さんにそっくりのティナ・シーリング先生が、学生にパーティ立案の議論を展開させる。
誰かのアイディアの詳細を早い段階でチェックしはじめると、そのアイディアの可能性が花開かないので、「Yes, But」でなく「Yes, And」を言い続ける、というルールを与え、
「既成概念や技術的な限界に縛られず前向きに議論したからこそ宇宙でパーティを開けたんだと思います」「その通り!」とか言って喜んでいる。
この妙な達成感はどこからくるのじゃ?
こういう番組は「アメリカ式オプティミズムに乗っかると危ない」の実例として鑑賞すべきだと思った。
すなわち、
高畑先生:こうしたブレインストーミングを済ませた後には何をすべきだと思いますか?
学生ブライアン:出されたアイディアを実現性の高低に照らし合わせるのはどうでしょう。
高畑先生:仕分けして見直すんですね。デイヴィッドどうぞ。
学生デイヴィッド:あるいはいきなり実行してみるとか。
高畑先生:試作するんですね。
というような、明るいオプティミズム。
このようなオプティミズムこそ、原子核反応のエネルギーで発電するというアイディアをふくらませるために、点検ミスやハリケーンや地震や津波の可能性に目をつぶる空気の温床ではないか。
原子力発電所の「試作」は実作にほかならないわけだが、せっかく建設地域の住民が反対しても「IF THE SCIENCE DOESN'T PERSUADE THEM, MAYBE THE YEN WILL(科学が説得しなくてもお金が説得してくれるでしょう)」という恐るべき現実が待っている。
(上記リンクは、九州電力の玄海プルサーマル計画が展開するプロセスをウィキリークスが公開したもので、「糸島の風」に対訳がある)
批判検討ができないdaydreamプランを、大人のミーティングの結論にするなど、あんまりである。
小学校のホームルームの時間に「みんなでパーティを計画してみましょう」ということを言って、ある班が「宇宙でパーティ」という結論にたどりついたときに、「とっても斬新なアイディアですね!」とほめるのはアリだろうが、大人を相手にして、宇宙でパーティなどという使えないプランを持ち上げないでほしい。さやかが、糸くずを差し出してくれるたびに「よくできましたぁ! ありがとう!」と言うのは、彼女がまだ1歳の赤ちゃんだからである。
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