同僚が成績評定の基準化を提案した。
GPA評価が選考に用いられる場合などに配慮して、こういうことも公平性確保のために考慮すべきという考え方のようである。
ここでいう公平性とは、要するに、楽勝科目ばかりでGPAが高いケースと知的にゴリゴリ選び抜いてGPAが低いケース、というような差をなくしましょうということ。
たとえば S:5%以内、S+A:30%以内、BとC:特になし、D+E:30%以内とか。
このパーセンテージ割振自体は、整合的でまともなものに見える。
このことについて、Facebookで書いてみたところ、元同僚が、FD研究会ではこうなっていたよ、というのを教えてくれた。
S 予想を超えて優れている
A 優れている
B 標準的である
C 最低の水準を満たしている
F 水準を満たしていない
上記の割振が、まことに整合的でまともであることを、さらに確認する思いである。
しかしながら、感覚的には抵抗を感じる。
「大学は絶対評価ですよ」と言われてきた体験から、ここに相対評価的な原理を持ち込むことに、抵抗があるのだ。
それにね、
ソルフェージュとか、語学の基礎とか、特定の測定方法の実習といったリテラシー科目の場合、教員は、全員が100点をとれるように教育しているんじゃないかと思う。
ある特定の技能について習得できるように、そこではクラスの全員が過不足無く、つまり、「予想を超えて」といった欲が生じないほどまんべんない完璧さをめざして、あらゆる技巧をつかって指導しているんじゃないだろうか。
音大にいたころ、ソルフェージュの基礎クラスで100点をとれる学生の割合は、年度によってもクラス分けによってもまちまちで、30%だったり50%だったり70%だったりした。
こういうリテラシー科目にも、「優れているのは30%以内」などという網をかぶせて大丈夫なのかしら。
これとは、ちょっと別のことなんだけれど、ちょうど愛読するブログ「考えるのが好きだった」で、相対性を求める教育の是非が問われていたので、リンクしておく。
http://blog.goo.ne.jp/kkhrpen/e/e0e8e2d23993f1e5e60ebd0bf60aa2af
大学は絶対評価ですよ,絶対。陸軍中野学校じゃないんだから。
返信削除楽勝科目は,必要悪だと思っています。そこで公平を求めるのは悪平等だと信じて疑いません。陸軍中野学校じゃないんだから(まだ言っている)。
下のSABCFは良いと思いますけれど。