1月3日付で新聞1面に「総合大学化でブランド強化/西南大に理系2学部/定員計500人 環境・IT軸に」という記事が出た。巻頭文には「文系理系両方の学部をそろえる総合大学に発展させる方針であることが2日、分かった」と書かれている。この記事の執筆者は、河野潤一郎さんという方で、引用表記が用いられている部分は以下のとおり。
- 「時代の流れに合った文理総合の学部にしたい」(同法人)
- 同法人首脳は「受験生は大学をブランドで選ぶ傾向が強い。学部新設で大学の魅力を多角的に増やす必要がある」と
こうした発言集をみるかぎり、理事の誰かが、ちょっと言ってみただけの内容にしか見えない。1月2日に記者会見が行われた可能性も低いと思うし、新年会かなにかでのお愛想発言ではあるまいか。
理系学部の新設については、学外コンサルタントの発案の中に毎度あらわれる。こういう単純なビジョンは発案しやすいし . . . . .。でも、まじめな議事としては毎度明瞭にハネられまくっている。連合教授会では、「環境」「IT」をキーワードとする学部構想の議題は挙がっていないし、この前、ちょっと似たキーワードで議題が出た時には明瞭にハネられていた。
記事はこの後、執筆者を変えて「解説」という項目に続いており、そこには「西南学院大が理系学部を新設して総合大学となれば、九州の私大再編の引き金になる可能性もある」と書かれていた。
ハイ! もちろん可能性は、いつだって無限だと思います。
私は社会情勢には常に疎い。だから読み手としては素朴で、新聞での表記にはそれなりの責任や重みがこめられているのだと思い込んでいた。まして1面を使った記事ならば。
しかし、今回のことを通じて、報道界が「方針であることが分かった」とか書いてしまう時に、その言葉の重みが大したものでない、というか、ぜんぜんどうってことないし当てになんかならない、ということを実感できた。新聞というメディアが、こういう当てにならないことを曰って、それをネタに「可能性もある」とかいう表現で「解説」してしまう現実を目の当たりにした。
メディアリテラシーのお勉強において、とってもとっても有益な記事だった。