腰3カ所・脚2カ所の骨折が循環器を傷つけるおそれがあったので、地元の救急病院から、より大きな大学病院に運ばれた。
認知症のため事故にあったことの認識がすすまず、ベッドで点滴を受けることや周囲を看護師が動き回ることにひどく抵抗している。
17日午後からは拘束具をつけたということで、17日夕方に事後承認の形で制御同意書のサインをせざるを得なかった。
拘束具が、看護師の方の現実的・緊急的な判断において、やむをえないものだったことは、頭ではよくわかる。しかし、肉親のああした状況は、やはり苦しい。せめて魂の抵抗を示して、同意書にサインしないでやればよかった、と後悔する。
私は、気の強い女だ。
思いついた時点で、自分でもにくたらしくなるぐらいの台詞を構成できてしまう。
「処置の時点でご連絡がなかったのですから、
私の同意などなくても同じなのでは?
事後承認で書類を作成する意味がわかりませんが・・・」
とつっぱねて
書類にサインしないでいることも、たぶんできた。
今回の場合、拘束具をつけたのは「午後になってすぐだったかと思います」という説明であり、面会した17時過ぎまで、私の携帯電話には、1本の連絡もなかったのだ。「便りがないのは良い便り」ではなかったのだ。
しかし一方で、入院患者の肉親は「家族を人質にとられているも同然」ということがある。本人が看護師に愛想良く接する知恵をもたない今、せめて家族が、看護師の方々と友好的にふるまうことでフォローしなければ、よりよいケアを得られるという気がしない。それで、辛い説明を受けても愛想良く対応し、納得しきれたわけではない事後承認の要請にも、つい従ってしまう。
ホイホイと相槌をうって、何でもサインしてしまう。
そして、あとで後悔し苦しくなる。
本当にチョー細かくて、いわば「うざい」ほどに綿密なインフォームド・コンセントの書類は、救急医療においてどれほどの意味があるのだろうか。
「今はこうせざるをえない」という形でなされる専門家の説明を前に、では「同意しません」という選択肢は、いかにして現実味を獲得するのだろうか。
ふと、セキュリティ・ソフト更新時の「同意します」ボタンを思いだしてしまったりする。
今回は、事故対応のあいだじゅう主人が一緒に居てくれたので本当に助かった。
本気のトラブルの時に、自分と同格で判断や行動をとってくれつつ、しかもこちらを気遣ってくれる人がいるなんていう状況は、ここ15年で初めての恵まれた環境だ。
今まではずっと一人だった分、一般的なストレスへの耐性は強いつもりだった。
それでも昨日から、瞼が頻繁に痙攣する。
そして私が慌てたり悲しんだりするたびに、胎児が異様なほど活発に動く。
心がつながっているのねぇ的な感傷はぬきにしても、実際問題としてアドレナリンやらなにやらが出まくっているのだろうと思う。
小さい赤ちゃんがかわいそうだ。
こういう時は、自分が望んでいることとその手段を絞って明瞭化しないと、対応できない。
私のとりあえずの望みは、これ以上、転院をしないで済むように、ということだ。
救急病院でCTをとり、数時間後に大学病院に転院した時には、新しい病院でCTをとりなおさねばならなかった。
体のあちこちが折れているときに、ベッドから検査台への移動は苦痛であり、検査台の上は冷たく、検査室は明るすぎる。
だから転院させたくない。
今いる病院での手術が決まるまでは、「あの患者の家族は面倒だからなー」と思われないように従っておかねば、だが、もし転院しなければならないことが決まったらあんな同意書は取り返してやろう・・・・・と無意味で無茶なことを、ぐるぐると考える。
今回味わった感覚。
家族を人質にとられる感覚。
今回ほど圧倒的な形ではないにしても、これから子供を育てていく中で、何度も味わうだろうと思う。
保育所で・・・幼稚園で・・・小学校で・・・中学校で・・・。
こういう感覚は、大事な人質が自分の家族でない場合でさえ、味わうことがある。
大学で助手をしていた頃、今すぐとっちめてやらねばならんぞと思われる出来の悪い仕事に接しても、「ゼミの子がいじめられちゃ困るから」とこらえて、その出来の悪い職員に愛想をふりまいたことが何度もあった。
第3次産業に携わる者として、私自身も直接/間接に、学生の親たちに、そういう思いをさせる可能性をもっている。
このオソレをよく学ぼう。
17日午後からは拘束具をつけたということで、17日夕方に事後承認の形で制御同意書のサインをせざるを得なかった。
拘束具が、看護師の方の現実的・緊急的な判断において、やむをえないものだったことは、頭ではよくわかる。しかし、肉親のああした状況は、やはり苦しい。せめて魂の抵抗を示して、同意書にサインしないでやればよかった、と後悔する。
私は、気の強い女だ。
思いついた時点で、自分でもにくたらしくなるぐらいの台詞を構成できてしまう。
「処置の時点でご連絡がなかったのですから、
私の同意などなくても同じなのでは?
事後承認で書類を作成する意味がわかりませんが・・・」
とつっぱねて
書類にサインしないでいることも、たぶんできた。
今回の場合、拘束具をつけたのは「午後になってすぐだったかと思います」という説明であり、面会した17時過ぎまで、私の携帯電話には、1本の連絡もなかったのだ。「便りがないのは良い便り」ではなかったのだ。
しかし一方で、入院患者の肉親は「家族を人質にとられているも同然」ということがある。本人が看護師に愛想良く接する知恵をもたない今、せめて家族が、看護師の方々と友好的にふるまうことでフォローしなければ、よりよいケアを得られるという気がしない。それで、辛い説明を受けても愛想良く対応し、納得しきれたわけではない事後承認の要請にも、つい従ってしまう。
ホイホイと相槌をうって、何でもサインしてしまう。
そして、あとで後悔し苦しくなる。
本当にチョー細かくて、いわば「うざい」ほどに綿密なインフォームド・コンセントの書類は、救急医療においてどれほどの意味があるのだろうか。
「今はこうせざるをえない」という形でなされる専門家の説明を前に、では「同意しません」という選択肢は、いかにして現実味を獲得するのだろうか。
ふと、セキュリティ・ソフト更新時の「同意します」ボタンを思いだしてしまったりする。
今回は、事故対応のあいだじゅう主人が一緒に居てくれたので本当に助かった。
本気のトラブルの時に、自分と同格で判断や行動をとってくれつつ、しかもこちらを気遣ってくれる人がいるなんていう状況は、ここ15年で初めての恵まれた環境だ。
今まではずっと一人だった分、一般的なストレスへの耐性は強いつもりだった。
それでも昨日から、瞼が頻繁に痙攣する。
そして私が慌てたり悲しんだりするたびに、胎児が異様なほど活発に動く。
心がつながっているのねぇ的な感傷はぬきにしても、実際問題としてアドレナリンやらなにやらが出まくっているのだろうと思う。
小さい赤ちゃんがかわいそうだ。
こういう時は、自分が望んでいることとその手段を絞って明瞭化しないと、対応できない。
私のとりあえずの望みは、これ以上、転院をしないで済むように、ということだ。
救急病院でCTをとり、数時間後に大学病院に転院した時には、新しい病院でCTをとりなおさねばならなかった。
体のあちこちが折れているときに、ベッドから検査台への移動は苦痛であり、検査台の上は冷たく、検査室は明るすぎる。
だから転院させたくない。
今いる病院での手術が決まるまでは、「あの患者の家族は面倒だからなー」と思われないように従っておかねば、だが、もし転院しなければならないことが決まったらあんな同意書は取り返してやろう・・・・・と無意味で無茶なことを、ぐるぐると考える。
今回味わった感覚。
家族を人質にとられる感覚。
今回ほど圧倒的な形ではないにしても、これから子供を育てていく中で、何度も味わうだろうと思う。
保育所で・・・幼稚園で・・・小学校で・・・中学校で・・・。
こういう感覚は、大事な人質が自分の家族でない場合でさえ、味わうことがある。
大学で助手をしていた頃、今すぐとっちめてやらねばならんぞと思われる出来の悪い仕事に接しても、「ゼミの子がいじめられちゃ困るから」とこらえて、その出来の悪い職員に愛想をふりまいたことが何度もあった。
第3次産業に携わる者として、私自身も直接/間接に、学生の親たちに、そういう思いをさせる可能性をもっている。
このオソレをよく学ぼう。
心よりお見舞い申し上げますとともに、お母様のお怪我の一日も早い回復を心よりお祈りいたします。
返信削除今回の先生のブログを読ませて頂いて、心が締め付けられるものがありました。
他の人に話した事はほとんどないのですが、実は、13年前に他界した私の母方の祖母は最晩年の8年間、認知症に精神疾患を併発するという状況にありました。
私の実家は両親とこの祖母の4人家族でした。
人格が崩壊し、理不尽な発言や、理解できない行動を繰り返すようになった祖母。今後の介護のために父が転職を余儀なくされるなど、私も含めて家族の人生も大きく激変し、私自身も当時目指していた海外の音楽学校への留学を断念せざるを得なくなりました(当然のことで、こんな状態で両親を放置して自分だけ海外に行く訳にはいかなくなりました。かつての私の渡米は祖母の没後のできごとです)。
しかし、私の両親、特に母は、祖母を病院や施設に入院させるという選択肢を選ばず、在宅介護をやり抜きました。この間、周囲(とくに母の兄弟)からの「入院させるべき、特別擁護老人ホームに入れるべき」という声を頑として突っぱねました。
私も当時は、なぜ入院させないのか、と思いました。しかし、祖母がもし入院していたら、徘徊などの異常行動防止の名目で、拘束具を常時付けられていたのは間違いないでしょう。今になってみると、母は先生が書いておられたような「家族を人質に取られる感覚」を味わうまい、と思っていたのだと思い、母に申し訳ない思いです。