2011年1月27日

吾輩は会議室である


ということにすれば、学生に「面談アポイントメントを早い者勝ちで入力してもらう」ことができる、という見解に達した。

「吾輩は会議室である」という言葉が浮かんだ時、近頃の違和感ある現象について思い出した。

メールの末尾に「iPhoneから送信」と書く現象。
iPhoneやiPadのメール仕様は、こんなふうになっているのであろうか。

末尾に「iPhoneから送信」や「名字@iPad」ぐらいならまだいい。
メールの頭が「皆さんこんにちは、マックブックプロ名字13"です」で始まって「それでは以上です。長文失礼しました。マックブックプロ名字13"」で終わるとか、「こんにちは、アイフォーン名字です」で始まって「以上、アイフォーン名字よりご報告でした」で終わるといったメール・スタイルは、私にはとっても気持ち悪い。
あるテキストがどの端末から発信されたものかなんて、発信元をみれば推測できるものなのに、自分の名前をはさんだ機材名を書くなんて、『Understanding Media: The Extensions of Man』をしのぎ、『Understanding Man: The Extensions of Media』の段階に達したか、の感がある。

さて、2月15日にあいれふホールで開催される「演連コンサートFUKUOKA6」の解説の仕事で、たぶん初めて、イタリア古典歌曲の解説を書かせてもらった。今回のプログラムは「Caro mio ben」「Intorno all’idol mio」という黄金の2曲で始まり、バッサーニの「Dormi bella dormi tu」や、曖昧な悲しみと祈りをうたったトスティの「Tristezza」があり、その後、日本歌曲やフランスオペラの曲に続く。
イタリア古典歌曲については、音楽学校時代に何度かヒラオカさんの伴奏をさせてもらったおかげで、とってもとっても大好きな曲がたっぷりあるが、それにしても通俗的な名曲っていうのは、いい、いい、いい。アイアイアイアイあいしてる。
通俗的な名曲について、大スキ!、とってもとっても大好きよ〜 というのは、松本さんの講演会「夜のとばり」での宮崎さんの演奏でも感じたこと。ショパンの9-2とか、もう、ずっとずっとずっとずっとそばにいたい〜、ってかんじ。小難しい20世紀音楽の授業とかやめて、こういうのを聴いていたい気分である。ええい、いつの日かショパンの9−2について語れるようになってみせる!
このような野望を膨らませられるのは、小難しいブーレーズや大難しいファーニホウをゴリゴリ見つめてきた15年間があって、その後、採譜さえしてしまえばファーニホウなんかよりはずっと語りやすいマクラーレンにふれてきたからなんだろうが、ショパンのように直感的にこっちに届いてしまう「名曲」の美というものは、「で、語ってどうするの?」という問題もあって、とても困る。

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