2012年1月29日

やりたいこと

久木元真吾の論文「“やりたいこと”という論理--フリーターの語りとその意図せざる帰結」を読んだ。
フリーターという概念があるからそこに居場所をみつける、という状況がありうることもふまえた上で、別の側面から「意識」をさぐるために、97人分約500ページのヒアリング記録(日本労働研究機構の調査研究報告書136:フリーターの意識と実態)を分析したもの。

以下3点を抽出した上で
  • やりたいことかどうかが、仕事を続ける前提である
  • やりたいことは、今わからなくてもいい。という前提がある
  • やりたいことは、自分のプロセスにでなく自分の外部に実在する、という前提がある
その帰結として、
  • 良いフリーターと悪いフリーターという上下観がある
  • やりたいことを見つけるプロセスからリタイアしにくい
などの現状があること、そこには、そもそも、「やりたいこと」でなければ到底続けられなそうだと感じるほどの労働条件の悪化も背景であることなどが、淡々と書かれている。

そう、たしかに
「やりたいこと」の奨励と、それを外部的に「こたえる」ことの要請は、今、強すぎる。
なにしろ朝っぱらの8時から、アンパンマンのマーチがこんなふうに流れる。

 1番          2番
 なんのために生まれて  なにが君のしあわせ?
 なにをして生きるのか  なにをしてよろこぶ?
 こたえられないなんて  わからないままおわる
 そんなのはいやだ!   そんなのはいやだ!

生の肯定や、自由の肯定の方向性が、強すぎてふりきれちゃっている。
こたえられなくても、なにかをして生きていれば、よろこべたり、しあわせだったりするかもしれないのに。

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