久しぶりに、まとまった量の楽曲解説を書くにあたり、
とりあえずの出だしに一般論をということで、
ついつい安易に『名曲解説全集』のシリーズをひもといてしまった。
このシリーズの筆者はおしなべて、
「展開部を省略したソナタ形式」と書くのが大好きで
かねてより、それが疑問である。
大事な旋律がABの2つあって、
それを後でもう一回繰り返すっていう状態(ABAB)は、
「〜〜を省略した◎◎形式」とかいう例外形モデルを発明するまでもなく
ふつうに、二部形式に聞こえるんですけれど。
一発目のAとBが、
主調/属調とか主調/平行調とかになっているなら
まだわかるけれど、
主調のまんま次も主調の場合にまで、
「展開部を省略したソナタ形式」と書くのは、
このシリーズが出た頃の、流行だったのだろうか。
で、今回は、
「単一主題による(中略)展開部を省略したソナタ形式」の事例まで発見し、
その曲をナクソス・ミュージック・ライブラリーで試聴。
ロンドに聞こえるんだけど・・・。
要するに、再現したら、
なにがなんでも、絶対ぜったいじぇ〜ったいソナタ形式なのだよね。
ソナタ形式信仰みたいなのがあるんですよねえ。
返信削除後期は楽式論でソナタ形式を扱うので、面白いネタを教えて頂いて感謝です。
ソナタ形式信仰・・・・。
返信削除なんとかしたいですねえ。
80年代の『名曲解説全集』のほぼ全ての内容が
90年代に『作曲家別名曲解説ライブラリー』として
再編されてしまった今、
どうやって、塗り替えるべきか、思案してしまいます。
>「展開部を省略したソナタ形式」
返信削除『名曲解説全集』の筆者の意図というものは全く分かりませんが(実は読んでないかも。汗)英語文献でも「展開部を欠くソナタ形式」という論じ方を結構目にします。
しかし、そういった捉え方もtradition critiqueの視点からは(それがたとえ耳には二部形式に聞こえるとしても)意味があるのではないかな、と思ったりします。
つまり、「それまで伝統的にソナタ形式が使われてきたジャンルの音楽」として遭えて中間部にモチーフ操作による展開を行なわないものを作曲するというのはまさしく「展開部を欠くソナタ形式」こそが意図されていたと思われるからです(例えばシューマンのピアノソナタなんかそうなんじゃないでしょうか)。
なのでこういった場合は「展開部を欠くソナタ形式」という表現は的確でしょう。
・・・ただ、「作曲者の意図も時代も鑑みず、とりあえず『真ん中』の無い二部形式は全部『展開部の無いソナタ形式』にする」ってのはもんのすごいmisleadingだと思いますが(苦笑)。
そうですね。
返信削除tradition critiqueという観点を示していただき、ありがとうございます。
ああ勉強したい。