2011年10月9日

様子をみる、について

金曜はさやかがグッタリして、わたしは命の縮む思いをした。
40度の熱が出ていても、キトキト笑ってグイグイ食欲を発揮するタイプの子が、おもちゃを抱えて一日ゴロンとしているのを目にするのは、たまらないものだ。

予防接種をしていないだけに「もしや日本脳炎か?」などと、いろいろな思いがうかび、授業2つと面談1つと面接試験1つを全て投げ出して、精密検査のできる大病院に連れて行こうか、と慌てふためいた・・・・が結局、投げ出すことができずに、研究室でシッターさんに看てもらい、夕方、ホームドクターに診せて、再処方を頼んだ。

ああ、あの選択には自信がない。
今回は大事に至らなかったからよかったものの、母親として、投げ出さなかったことを悔やむ気持ちもある。

今回は、鼻風邪のために木曜に処方してもらった水薬のうち、シプロヘプタジン塩酸の割合が、さやかには多すぎたために、ボーッとしていた。
そんな気がしたから、金曜のお昼は投薬をお休みしつつ、夕方まで、いわば「様子をみて」いたのだが、この「様子をみる」という行為は、基本的に「片時も離れずに」行いたいものであって、95分(授業1コ分)離れたり、40分(面接試験)離れたりしながら、「様子をみる」のは、さやかに申し訳ない。

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